動物コラム
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ミミの闘病生活

1月の末に小学2年の息子が帰校時、友達と一緒に捨て犬を連れて帰り、我が家の一員となったのだ。名前は「ミミ」と命名。お風呂に入れて食事をすると、安堵からか熟睡し、我が家への帰属意識が強く感じられ家族と同床の生活が始まりました。

'84   のちのち分かったことですが、12月に生まれ、シェパードと柴のミックス(♀)でした。

'85   1月の末に小学2年の息子が帰校時、友達と一緒に捨て犬を連れて帰り、我が家の一員となったのだ。名前は「ミミ」と命名。お風呂に入れて食事をすると、安堵からか熟睡し、我が家への帰属意識が強く感じられ家族と同床の生活が始まりました。

'86   6/1←この日が悲劇。散歩にでかける前に、リードをつける一瞬のすきに飛び出し、軽自動車に跳ねられてしまいました。意識はあったのですが、身動き出来ず、すぐに動物病院に搬送されました。
 先生はそのとき、脊椎骨折、下肢裂傷があり、助かっても、半身不随になり、かわいそうだが「安楽死も選択枝の1つ」と言われてしまったのです。しかし意識のあるミミの目は、一緒に家に帰りたいと必死に訴えていました。病院では裂傷の縫合をして戴き、当日一緒に帰宅後すぐ、素人療法で自分なりに体部をコルセットで固定し、鎮痛剤を投与しながら必死に療養しました。
 その後、結果として下半身不随ながら、前肢で自力歩行出来るようになり、ほぼ健康体になることが出来ました。

    以来、試行錯誤しながら車椅子を作成し、朝夕の散歩もでき、若年期には1回に1時間ほど楽しんで行くようになりました。
 ただ、下半身の感覚が無く、尿、便とも自覚が無いので紙オムツを常時していなければならず、ぼうこう炎にはたびたび悩まされ、素人療法で治療しながら生活してきました。その予防と、安眠のため、我妻が連日就寝時に排尿、排便を行ってくれているのは大変な労力で、ミミも感謝していてくれると思います。

'00   9月ごろより腹部腫張が顕著となりえさき動物病院に受診しました。「子宮蓄膿症」との診断により10月13日子宮全摘出術を受けました。1週間後退院し、予後良好で普通の生活に戻りました。(フィラリア感染なし)

'01   5月左前肢肩部に鶏卵大の腫張を認め、再度えさき動物病院に診察に訪れます。
5月11日検査入院し、病理検査の結果「血管肉腫」との診断され老齢(17才)でもあり手術不適応で経過観察となる。疼痛はありませんでしたが、左前肢の動きが不都合となって来ていました。動きが不自由で不機嫌のときもあったのですが、甘えるときも多くなって来ました。
 散歩もめっきり減り1日4〜50m程度となってしまいました。食事は普通でした。
7月11日受診。背骨上部に100円玉大の血腫認めました。
残念ながら家族の一員であり続けたミミは平成14年9月4日に永眠しました(息子は小学2年から24才になった時のことです。)  

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